源義経が元暦二年二月(1185年)小松島田野町に上陸し、当山、南西の方上町所谷の山を越え、古戦場香川県屋島の壇ノ浦に、平家を討つため軍勢を進めたとの伝説があります。
其の当時この付近一帯は海であり、海中の小島であったが、室町時代に海水が引き湿地帯となり、小島が小山となり、水田開発が進み現在に至ったものと推測されます。
昔は海であった関係上、海の守り神、市杵島姫命(イチキシマノヒメノミコト)を神様として、厳島神社(弁財天)を当地に勧請されたと言われています。
古くより弁天様として、信者・村人達に親しまれて来ました。
北側の県道は江戸時代には、土佐街道と呼ぶ藩道でありました。
日本国内には他に、低い山(日本低山一覧表)2ヶ所ありますが、いずれも江戸時代に人工で造成した山であり、自然で古来よりある山では、弁天山(国土地理院認定)が日本一低い山となります。
弁天様は庶民の願いを叶えて頂ける尊い神様であり、この度、氏子信者・村人達のご理解ご協力により、日本一低い山に相応しい社殿・参道・鳥居等の、周辺整備を致しました。
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